ラジウムガールズは腐らない?生き残りはいる?光るようになった経緯やその後も解説

ラジウムガールズ 腐らない

放射性物質ラジウムの影響で重い健康被害を受け、やがて「腐らない」「光る遺体」などの噂も生まれた「ラジウムガールズ」という人たちがいました。

この記事では、彼女たちの実像や裁判の行方、そして噂の真偽について解説します。

ラジウムガールズとは?腐らないって本当?

ラジウムガールズは、20世紀初頭にラジウムを含む蛍光塗料を扱っていた女性工員たちの総称です。

ここでは、彼女たちにまつわる「腐らない」という噂の背景を探ります。

ラジウムは安全だとされていた

ラジウムは1902年に化学者マリー・キュリーによって発見された放射性物質です。

当時はその神秘的な発光性に注目が集まりましたが、当然安全ではありません。

蛍光塗料を扱うために女性を雇った米国ラジウム社は、ラジウムが持つ危険性を認識していました。

しかしラジウムを取り扱う多くの会社が「少量であれば健康に良い」と信じられていたため、少しなら問題ないと考えていたのです。

実際、1930年代にはラジウム入りの歯磨き粉や化粧品、飲料水まで市販されており、一般家庭でも日用品として使用されていたのです。

こういった背景から、少量のラジウムなら蛍光塗料を扱う女性工員にも健康被害は出ないと考えたのです。

時計の文字盤にラジウムを塗る仕事に従事

当時は、第一次世界大戦真っ只中。

そのため、アメリカでは戦地にいなくても社会に貢献したい女性が多かったり、ラジウム入り塗料で時計の文字盤を塗る仕事は高給で人気だったりしたことから、若い女性たちが多く従事していました。

細かい作業に向くとされ、ティーンエイジャーも多く雇われました。

彼女たちは、ラクダの毛を使った筆で時計の文字盤にラジウムを塗る作業を行っていました。

しかし、数回使うと筆の形が崩れるので米国ラジウム社は「リップ、ディップ、ペイント」と工員に言い、舌や唇で筆を整えさせたのです

その工程で女性工員たちは、ラジウムを体内に取り込んでしまいます。

知らぬ間に健康を蝕む危険な作業だったのです。

「腐らない」と言われる理由とその真偽

ラジウムガールズは「死んでも腐らない」と噂されることがありますが、それを裏づける確かな証拠は見つかっていません。

遺体を見たという記録もなく、放射能で遺体が腐敗しないという科学的根拠も存在しないのです。

骨に残ったラジウムの発光が、誤解を生んだと考えられます。

ラジウムガールズの顎や骨などに起きた異変

ラジウムガールズの体にはどのような異変が起きていたのでしょうか。

ここでは、彼女たちが受けた深刻な健康被害を見ていきましょう。

ラジウムガールズがうけた健康被害

ラジウムガールズは、微量のラジウムを毎日のように体内に取り込んでいました。

やがて、歯の脱落や顎の壊死、関節の激痛、骨折、さらには骨肉腫などの深刻な症状が現れます。

骨がもろくなり、自力で歩けなくなる女性も少なくありませんでした。

中には、鏡に映った自分の姿が暗闇で光ることで、異変に気づいた人もいたと伝えられています。

雇い主による隠ぺい

ラジウムガールズの健康被害が明らかになり始めた頃、雇い主である米国ラジウム社や他の文字盤製造会社は責任を否定し続けました。

独立調査でラジウムとの因果関係が指摘されると、その結果をもみ消すために別の研究を資金提供で操作し、真逆の結論を発表させたのです。

さらに、死亡診断書に「梅毒」と誤った病名を記載させるなど、世間の目をそらすための情報操作も行われていました。

ラジウムガールズに生き残りはいる?その後を解説

壮絶な健康被害と向き合いながらも、声を上げ続けたラジウムガールズたちのその後を見ていきましょう。

雇い主との裁判に勝利

ラジウムによる健康被害を訴えた女性たちは、雇い主を相手に訴訟を起こし、ついに和解という形で勝利を収めました。

この裁判は労働者の権利を守る大きな転機となり、後の法制度にも影響を与えます。

世間の注目を集めた彼女たちは、やがて「ラジウムガールズ」と呼ばれるようになりました。

この呼称は、報道機関が彼女たちの闘いを象徴する言葉として用いたのが始まりとされています。

2015年に最後の一人が死去

ラジウムガールズの闘いからおよそ90年後の2015年、最後の生存者がこの世を去りました。

名前は明かされていませんが、彼女は静かに人生を終えたと伝えられています。

長く過酷な経験を乗り越えた彼女の死によって、ラジウムガールズの時代は幕を閉じたのです。

彼女たちが残した教訓と制度改革は、今もなお多くの労働者を守る礎となっています。