山本五十六は明治から昭和にかけて活躍した日本の海軍軍人です。
連合艦隊司令官として、かの有名な真珠湾攻撃を指揮した人物として知られています。
そんな歴史的人物である山本五十六のお墓はどこにあるのでしょうか?
この記事では、山本五十六のお墓の場所やどんな最期だったのかについて解説します。
山本五十六のお墓はどこ?
所在地 | 多磨霊園 |
住所 | 東京都府中市多磨町4丁目628 |
山本五十六のお墓は、東京都府中市にある「多磨霊園」にあります。
多磨霊園は、東郷平八郎や三島由紀夫などの著名人が多く眠る地として有名です。
山本五十六を火葬した際の遺灰は、パプアニューギニアにあった日本軍航空基地・ブイン基地の滑走路隅に埋められました。
また、多磨霊園と出身地である長岡にも分骨されています。
山本五十六ってどんな人?
出身地 | 新潟県古志郡長岡本町 |
生年月日 | 1884年4月4日 |
命日 | 1943年4月18日 |
享年 | 59歳 |
戒名 | 大義院殿誠忠長陵大居士 |
先述した通り、山本五十六は、明治から昭和にかけて活躍した日本の海軍軍人です。
最も有名なのは、第二次世界大戦時にアメリカとの戦争の引き金になった真珠湾攻撃を指揮したことでしょう。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」という言葉を残したことでも有名です。
司令長官として人を育てることに長けており、連合艦隊司令長官として歴代最長の約3年8か月間従事しました。
このことからも非常に優秀な人物であったと想像できます。
山本五十六の死因・最期
山本五十六が乗っていた攻撃機は、ソロモン諸島ブーゲンビル島での空中戦でアメリカ陸軍航空隊によって撃墜されました。
これにより、山本五十六は戦死します。
死因は戦闘機の機銃弾がこめかみから下アゴ、背中を貫通し、ほぼ即死だったようです。
アメリカの海軍軍人であるエドウィン・レイトンは「山本五十六は日本で最高の司令長官である」とし、彼を消せば日本の士気が低下すると考え、暗殺に踏み出したのです。
敵からも優秀な人物であると認められていた山本五十六。
一部の意見として、日本の敗戦を見ずにこの世を去った山本五十六は幸せだったとも言われています。
- 山本五十六は明治から昭和にかけて活躍した日本の海軍軍人
- お墓は東京都府中市の「多磨霊園」にある
- アメリカ陸軍航空隊によって撃墜され、最期を迎えた