徳川吉宗は江戸幕府の8代目の将軍。
「暴れん坊将軍」として有名で、享保の改革を行い、財政を建て直した功績があります。
そんな徳川吉宗の最期は一体どのようなものだったのでしょうか?
この記事では、徳川吉宗のお墓の場所や最期について解説します。
徳川吉宗のお墓はどこ?
所在地 | 寛永寺 |
住所 | 東京都台東区上野桜木1丁目14-11 |
徳川吉宗のお墓は、東京都台東区に存在する「寛永寺」にあります。
寛永寺は徳川家の菩提寺であり、歴代将軍15人の内、6人が眠っています。
徳川吉宗のお墓には「八代将軍吉宗公之墓」と立て札があるため、訪れた際にもすぐ見つけられるでしょう。
徳川吉宗ってどんな人?
出身地 | 和歌山城の吹上邸 |
生年月日 | 1684年11月27日( 貞享元年10月21日) |
命日 | 1751年7月12日(寛延4年6月20日) |
享年 | 66歳 |
戒名 | 有徳院殿贈正一位大相国 |
徳川吉宗は江戸幕府の8代目将軍であり、和歌山藩の5代目藩主でもあります。
享保の改革にて水野忠之を老中に任命し、幕府の収入の安定化や新田開発の推進などを行って財政を建て直しました。
江戸時代において重要だった米に関する政策を積極的に推し進めたことで「米将軍」とも呼ばれています。
また、絵画などのアートや学問を奨励したことで、江戸の発展にも大きく貢献したのです。
徳川吉宗の死因・最期
徳川吉宗は1751年7月12日に66歳で亡くなりました。
死因は再発性脳卒中と言われています。
将軍を引退して6年後のことでした。
晩年は脳血管障害の後遺症である中風を患い、リハビリをしながらなんとか歩ける状態にはなっていたようです。
江戸城にバリアフリーの階段を作り、曲馬という芸を観劇して楽しんだとのことでした。
- 徳川吉宗は江戸幕府の8代目の将軍
- お墓は東京都台東区に存在する「寛永寺」にある
- 1751年7月12日に再発性脳卒中により、66歳で亡くなった