日本の漫画家として、数々の名作を残した手塚治虫。
そんな彼が眠るお墓は、どこにあるのか知っていますか?
この記事では手塚治虫の墓所や、行き方について紹介します。
手塚治虫が漫画にかける情熱や、生き様なども振り返りながら見ていきましょう。
手塚治虫のお墓はどこ?
所在地 | 摠禅寺 |
住所 | 東京都豊島区巣鴨5-32-2 |
手塚治虫のお墓は、東京都豊島区巣鴨の摠禅寺にあります。
摠禅寺には、手塚治虫の曽祖父にあたる手塚良仙や、落語家の初代三遊亭圓歌が埋葬されていることでも知られています。
もともとは、文京区湯島に立てられていた摠禅寺ですが、天和の大火で焼失し、翌年文京区千駄木に移転。
その後、1897年に豊島区巣鴨に移転し、現在に至ります。
手塚治虫ってどんな人?
出身地 | 大阪府豊能郡豊中町(現在の豊中市) |
生年月日 | 1928年11月3日 |
命日 | 1889年2月9日 |
享年 | 60歳 |
戒名 | 伯藝院殿覚圓蟲聖大居士 |
手塚治虫は漫画家・映画監督・医師として活躍し、多くの功績を残してきました。
「ジャングル大帝」「ブラックジャック」「鉄腕アトム」など、世代を超えて多くの人から愛され、マンガの神様と呼ばれるほどです。
今や多くの作品を残している藤子不二雄や赤塚不二夫をはじめ、手塚治虫に憧れて漫画家を目指した人は少なくないといわれています。
また、医師免許を取得した手塚治虫の作品「ブラックジャック」のモデルは、本人なのでは…?という噂も。
「ブラックジャック」は自身の経験や、憧れが反映されたストーリーだと考えられており、多くの人の心を惹きつける名作となりました。
手塚治虫の死因・最期
世界でも有名な漫画家となった手塚治虫ですが、1989年2月9日の10時50分、60歳という若さで亡くなりました。
もともとは進行性のスキルス胃癌と診断されていましたが、亡くなる数ヶ月前には癌が肝臓にも転移し、末期を迎えていました。
体調の悪化から昏睡状態になっても、意識が回復すると「鉛筆をくれ」と、漫画への情熱が消えることはなく、描き続けたそうです。
最期まで漫画家としての人生を全うし、仕事への執着を失うことはなかったのです。
通夜は東久留米市の自宅で、葬儀は港区にある青山葬儀場で執り行われました。
手塚治虫が描く魂の宿った漫画は、今もなお人々の心の中で生き続けていることでしょう。
- 手塚治虫のお墓は豊島区巣鴨の「摠禅寺」にある
- 漫画家・映画監督・医師として幅広い分野で活躍を見せたが、なかでも漫画家としては世界でも通用する名作を数多く残した
- 「マンガの神様」と呼ばれるほとの才能があり、入院中も筆を止めることはなかった
- 1989年2月9日に死去し多くのファンが悲しみに包まれたが、現在もファンの心の中で手塚治虫の作品は生き続けている