太宰治は、昭和に活躍した文豪で数々の名作を残した小説家です。
退廃的な雰囲気を感じる作風は、現在も世界中の人々から愛されています。
太宰治は、作品だけでなくその私生活や死因も、まるで小説のようなミステリアスだった人物です。
この記事では、太宰治がどんな人物だったのか、そしてなぜ死亡してどこに眠っているのかを解説します。
太宰治のお墓はどこ?
所在地 | 東京都三鷹市禅林寺 |
住所 | 東京都三鷹市下連雀4-18-20 |
太宰治のお墓は、東京都三鷹市に位置する禅林寺にあります。
禅林寺に太宰治のお墓が作られたのは、本人が生前「三鷹市禅林寺にある森鴎外の墓石と向き合う場所」と希望していたからです。
実際の位置は森鴎外の墓石の斜め向かいとなりましたが、本人の希望に沿って安置されることとなりました。
また、墓石に刻まれた「太宰治」の文字は太宰治の師匠である井伏鱒二の筆が使われています。
太宰治の墓は、毎年6月19日に多くの愛好家が足を運ぶことでも有名です。
6月19日は太宰治と富栄の遺体が引き上げられた日で、一般的に「桜桃忌」と呼ばれています。
太宰治ってどんな人?
出身地 | 青森県北津軽郡金木村(現在の青森県五所川原市金木町) |
生年月日 | 1909年6月19日 |
命日 | 1948年6月13日 |
享年 | 38歳 |
戒名 | 文綵院大猷治通居士 |
太宰治は青森県出身の小説家で、昭和の文豪として名を残す存在です。
地元の名士といわれた津島家に生まれた太宰治は、幼い頃からとても優秀で、東京帝国大学(現在の東京大学)に進学しています。
井伏鱒二に弟子入りし、「人間失格」や「斜陽」などさまざまな作品を生み出していますが、どの著書も自己否定や絶望、苦悩などがテーマとなっています。
私生活においても、太宰治は精神的に不安定で繊細な面が強い人物でした。
特に、女性関係の乱れが多く、2度の結婚生活の間にも複数の愛人と関係を持っています。
そんな太宰治は、芥川龍之介に強い憧れを抱いていたことでも有名です。
学生時代に芥川龍之介の自殺を知ったときは、学校の成績が低下するほどの衝撃を受けたのだとか。
そのためか芥川賞にも強い執着をみせていましたが、生涯受賞にはいたりませんでした。
太宰治の死因・最期
太宰治の死因は、入水自殺です。
太宰治は、6月13日に愛人の山崎富栄と玉川上水に飛び込んで死亡しました。
遺体が引き上げられたのは6月19日で、直前に書かれた短編作品「桜桃」にちなんで、「桜桃忌」と名付けられました。
しかし、この入水自殺には、さまざまな憶測が存在します。
有名なものは、富栄による無理心中説です。
これは、入水現場に強く下駄で突っ張った跡があったことや、滑り落ちるのを止めるための手形があったことから推測されました。
その他にも、狂言自殺のつもりが本当に死んでしまったという説などがあり、太宰治の死因は謎に包まれています。
太宰治は何度も自殺未遂を繰り返していた
太宰治は、その生涯で何度も自殺を繰り返していました。
資料に残されているものだけでも、富江との入水自殺を含めて8回の自殺を実行しています。
しかし、最期の入水自殺以外は、そのどれもが確実に死亡するとは言い難いものだったそうです。
また、太宰治は単身で自殺未遂をすることもありましたが、女性を巻き込んだ心中自殺も複数回おこなっています。
また、太宰治は、これらの体験を自身の創作活動にも結びつけていました。
否定的で絶望を感じる作風は、これらの人生経験から生まれたものなのでしょう。
- 太宰治は昭和の文豪で、「人間失格」「斜陽」など多くの名作を生み出した
- 青森県の裕福な家庭に生まれ、東京帝国大学(現在の東京大学)に入学するほど優秀
- 芥川竜之介に憧れ、芥川賞の受賞を切望していた
- 女性関係の乱れが多く、何度も愛人との自殺心中未遂をしている