ねずみ小僧のお墓はどこ?
所在地 | 回向院 |
住所 | 東京都墨田区両国2丁目8-10 |
ねずみ小僧のお墓は、東京都墨田区両国の「回向院」にあります。
回向院はあらゆる宗派の人や動物、無縁仏まで生あるものすべてを供養するという理念を持った寺院です。
そのため、人はもちろん、犬や猫、オットセイなどさまざまな生き物を供養できる慰霊碑が設けられています。
ねずみ小僧ってどんな人?
出身地 | 日本橋人形町(元吉原) |
生年月日 | 1797年(寛政9年) |
命日 | 1832年9月13日(天保3年) |
享年 | 35歳 |
戒名 | 不明 |
ねずみ小僧はまたの名を次郎吉といいます。
江戸時代に暗躍した盗賊です。
大名屋敷のみを狙い、人を傷つけることはなかったため、義賊として広く認知されています。
元々鳶職でしたが25歳の頃に父から勘当され、その後始めた賭博の資金を稼ぐために盗人の道を歩みました。
幾度も捕縛されながらも盗みをやめることはなく、捕縛の後に天涯孤独の身として処刑となっています。
江戸時代当時、重大な罪を犯した者は親族にも処罰を与える「連座制」が設けられていました。
しかし、ねずみ小僧は妻や妾との縁を切っており、結果的に親族を巻き込むことなく始末をつけたので、その点も義賊として扱われる一因です。
ねずみ小僧といえば「汚職大名からお金を盗みだし、貧しい民に分配する」という伝説が有名です。
これは貧しい民衆の境遇を想ったからではなく、単に武家屋敷が見た目ばかりで盗みを働くのが容易だったためとのこと。
それでもねずみ小僧の義勇伝説は人気で、今でも歌舞伎や時代劇などでは権力への反骨者として英雄的に描かれています。
ねずみ小僧の死因・最期
ねずみ小僧の死因は、市中引き回しによる処刑です。
処刑までに90回以上にも渡って盗みを働き、最後は上野国小幡藩屋敷にて捕縛されるに至りました。
市中引き回しは当時見世物となっており、多くの人が有名なねずみ小僧を一目見ようと押しかけたとのこと。
ねずみ小僧が有名であったため、みすぼらしい見た目のまま刑に処すると見物人から反感を買う恐れがありました。
そのため罪人にもかかわらず、最期は美しい着物に薄化粧を施した姿で処刑が執行されたようです。
- ねずみ小僧のお墓は、東京都墨田区両国の「回向院」にある
- 大名屋敷のみを狙い、人を傷つけることはなかった
- 死因は、市中引き回しによる処刑