森鴎外のお墓はどこ?場所・住所・行き方を紹介

森鴎外 墓

森鴎外のお墓はどこ?

所在地禅林寺
住所東京都三鷹市下連雀4-18-20

森鴎外のお墓は、東京都三鷹市の「禅林寺」にあります。

墓石には森鷗外の本名「森林太郎ノ墓」とだけ刻まれており、これは森鷗外の遺言から来ているのだとか。

禅林寺には文豪である太宰治も埋葬されており、太宰治本人の希望により森鴎外のお墓の前に葬られたとのことです。

毎年7月頃には森鴎外の法要が行われ、文学ファンの間でも有名です。

森鴎外ってどんな人?

出身地島根県鹿足郡津和野町町田(石見国)
生年月日1862年2月17日
命日1922年7月9日
享年60歳
戒名貞献院殿文穆思斎大居士

森鴎外は本名を「森林太郎」といい、明治から大正にかけて活躍した文豪です。

生前は小説をはじめ、戯曲や史伝、海外文学の翻訳など、文芸の分野において広く活動していました。

中でもゲーテの「ファウスト」、シェイクスピアの「マクベス」などの翻訳が有名です。

西洋文学を日本に取り込み、日本文学の幅を広げた功績者なのです。

また、医学学校を卒業した後は、陸軍軍医の派遣留学生として4年間ドイツに留学していた経歴もあります。

森鴎外の死因・最期

森鴎外は1922年7月9日、60歳で亡くなりました。

死因は腎萎縮、肺結核でした。

親族や親友が付き添う中、最期に「馬鹿馬鹿しい」とうわごとを言ったとされています。

有名なのが「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」という遺言。

その希望通り、墓石には「森林太郎」と刻まれました。

現代でも森鴎外に影響を受ける文学ファンは多く、そのお墓にも多くの人が訪れています。

  • 森鴎外のお墓は、東京都三鷹市の「禅林寺」にある
  • 西洋文学を日本に取り込み、日本文学の幅を広げた功績者
  • 1922年7月9日に腎萎縮、肺結核で亡くなる

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