大村益次郎のお墓はどこ?
所在地 | 鋳銭司 |
住所 | 山口県山口市鋳銭司3502 |
大村益次郎のお墓は、山口県山口市の「鋳銭司」にあります。
鋳銭司はかつて山口市吉敷郡南東部に存在した村であり、大村益次郎の出身地です。
大村益次郎は大阪の病院で死去しますが、その後船で遺体が運ばれ、自宅近くに埋葬されたとのことです。
また、靖国神社にも合祀されています。
大村益次郎ってどんな人?
出身地 | 山口県山口市鋳銭司村(周防国) |
生年月日 | 1825年6月18日(明治2年11月5日) |
命日 | 1869年12月7日 |
享年 | 44歳 |
戒名 | 不明 |
大村益次郎は幕末期における政治家・軍人・医師として活躍した人物です。
医師の家系に生まれ、医学や兵学を学びます。
長州征討では幕府軍を破るための戦術を立てるなどの活躍を果たしました。
明治維新後は改革を進め、日本の軍政の近代化に尽力したのです。
大村益次郎の死因・最期
大村益次郎は1869年12月7日に44歳という若さでこの世を去ります。
死因は刺客による暗殺でした。
最期は大阪の病院に運ばれ、大腿切断手術を受けるものの既に手遅れ。
手術の5日後には敗血症を発症して死去しました。
大村益次郎が残した軍政構想は有志によってまとめられ、「兵部省軍務ノ大綱」として大政官に提出されたのです。
- 大村益次郎のお墓は、山口県山口市の「鋳銭司」にある
- 明治維新後は改革を進め、日本の軍政の近代化に尽力
- 1869年12月7日に暗殺により44歳という若さでこの世を去る