忌野清志郎さんのお墓は、彼のすべてがつまった独特な空間が広がっています。
ロック魂が溢れるこの場所は、ファンなら一度は訪れたい場所ですよね。
この記事では、忌野清志郎さんの墓所や行き方を紹介。
どのような人生を歩んできたのかも、振り返っていきましょう。
忌野清志郎のお墓はどこ?
所在地 | 高尾霊園高乗寺 |
住所 | 東京都八王子市初沢町1425 |
忌野清志郎さんのお墓は、東京都八王子市にある「高尾霊園高乗寺」にあります。
一般的な和墓ではなくデザイン墓で、墓石に忌野清志郎さんのイラストが施された、ひと際目立つお墓です。
ブロンズ像が3体置かれていたり「Love & Peace」と書かれた石が立てられていたりと、ロックミュージシャンらしさがつまっています。
命日の5月2日はファンイベントが開催され、今もなお多くの人から愛されています。
忌野清志郎ってどんな人?
出身地 | 東京都中野区 |
生年月日 | 1951年4月2日 |
命日 | 2009年5月2日 |
享年 | 58歳 |
戒名 | 忌野清志郎 |
忌野清志郎さんは、日本を代表するロックミュージシャン。
ステージ上での圧倒的存在感は、ロックを愛するファンから絶大な支持を集めました。
忌野清志郎さんのカリスマ性と、自由なパフォーマンススタイルに憧れを抱く人は少なくありません。
そんな忌野清志郎さんですが、中学生の時に影響を受けたエレキブームがきっかけで、音楽活動を開始。
1966年にはフォークブームに刺激を受けて、同級生とバンドを結成しました。
その後も多感な時期が続きますが、1976年に事務所を移籍し、アルバム「シングル・マン」を発売。
この頃から、徐々にロックバンドに目覚めます。
しかし、2006年7月13日に喉頭癌での入院を発表し、音楽活動の一時休止を余儀なくされる事態に。
2008年2月10日には体調が回復し、本格的に音楽活動を再開するも、同年7月14日に癌が転移します。
病状が思わしくない状況が続きましたが、楽曲提供やレコーディングへの参加など、闘病中も精力的に活動していました。
ところが、翌年、体調が悪化し再入院。
病床でファンに向けて、デビュー39年記念のイラスト「39!BABY」を描きました。
これが、忌野清志郎さんからの生前最後のメッセージとなったのです。
忌野清志郎の死因・最期
忌野清志郎さんは、2009年5月2日に癌性リンパ管症のため、58歳で亡くなりました。
家族や急変を知った盟友たちに囲まれて、息を引き取ったそうです。
愛弟子の三宅伸治さんは、病状が急変した5月1日に見舞いに行き、約20分間同じ空間を過ごしたことをブログで綴っています。
また、生前親交があった間寛平は、訃報を知り泣き崩れ、大きなショックを受けたことでも知られています。
忌野清志郎の葬儀
2009年5月4日、葬儀は関係者のみで、無宗教の献花形式で執り行われました。
遺影は、遺族の要望により本名の「栗原清志」として撮影した写真を採用。
選ばれた写真は、ステージ上で見るワイルドで刺激的な印象とは違い、穏やかで優しい笑顔が印象的です。
同月9日には「忌野清志郎AOYAMA ROCK’N ROLL SHOW」が行われ、43,000人ものファンが集まって最後の別れを惜しみました。
- 忌野清志郎さんのお墓は八王子市の「高尾霊園高乗寺」にある
- 日本のロックミュージシャンとして圧倒的存在感で多くの人に影響を与えた
- 2009年5月2日に58歳の若さで死去するも、最後までファンへの愛情が薄れることはなかった
- 葬儀は近親者のみで執り行われたが「忌野清志郎AOYAMA ROCK’N ROLL SHOW」では多くのファンが参加し、最後の別れを惜しんだ