春日局のお墓はどこ?
所在地 | 麟祥院(りんしょういん) |
住所 | 東京都文京区湯島4丁目1-8 |
春日局のお墓は、東京都文京区の「麟祥院」にあります。
麟祥院は春日通りに面しており、通りの名称もかつて春日局の屋敷があったことでその名が付けられました。
墓石は、中心に穴が空いているという非常に珍しい形状をしているため、一目で春日局のお墓だとわかるでしょう。
この穴は春日局の「死後も徳川の世を見守れる墓にしてほしい」という遺言から空けられました。
春日局ってどんな人?
出身地 | 兵庫県丹波市春日町黒井(丹波国) |
生年月日 | 1579年(天正7年) |
命日 | 1643年10月26日( 寛永20年9月14日) |
享年 | 64歳 |
戒名 | 麟祥院殿仁淵了義尼大姉 |
春日局は、かの徳川家光の乳母として知られる人物。
本名は斉藤福(さいとうふく)といい、春日局は朝廷から賜ったものです。
家光の将軍就任にともなって大奥を取り仕切るようになり、NHKの大河ドラマの題材人物としても抜擢されています。
彼女の父が「山崎の戦い」で羽柴秀吉に敗走してから、兄弟ともに流浪の民として生きました。
その後、徳川家光の乳母に任命されてからは大きな権力を握ることとなります。
その中で起こる権力争いに巻き込まれるなど、波乱の人生を送りました。
春日局の死因
春日局の死因ははっきりとはわかっていません。
辞世の句は「西に入る 月を誘い 法をへて 今日ぞ火宅を逃れけるかな」
法号は「麟祥院殿仁淵了義尼大姉」です。
- 春日局のお墓は東京都文京区の「麟祥院」に存在する
- 徳川家光の乳母、大奥制度を確立した人物として知られる
- 死因ははっきりとはわかっていない