菅原道真は、平安時代に活躍した学者であり政治家でもある人物です。
この記事では、菅原道真の死因について詳しく解説します。
菅原道真の死因は諸説ある?
菅原道真の死因はどのようなことだったのでしょうか?
ここでは2つの説をご紹介します。
暗殺説
菅原道真が生きていた当時、藤原時平との間で激しい権力争いが繰り広げられていました。
そのこともあり、藤原時平が権力を我が物にしようとし、菅原道真を暗殺したとされているのが1つの説です。
病死説
最も有力といわれているのは病死説。
「菅原道真公御遷宮記」などの史料によると、亡くなる数ヶ月前から菅原道真は病状が悪化していたといいます。
咳や発熱などの症状を訴えており、当時の医療では十分な治療が受けられず病死したと考えられているのです。
菅原道真の死因は糖尿病?
先述した通り、菅原道真は亡くなる前から体調不良を訴えていました。
その症状からすると、糖尿病や感染症の疑いがあるとされています。
しかし、明確に糖尿病だったとする証拠はありません。
菅原道真とは何をした人?命日はいつ?
菅原道真は9世紀に活躍した平安時代の政治家です。
忠臣として非常に優れており、宇多天皇から重用されていました。
遣唐使を廃止し、901年には醍醐天皇を退け娘婿の斉世親王を皇位につかせようとした疑いで太宰府に左遷されています。
その2年後の903年3月26日にこの世を去りました。
死後に要人が次々に亡くなったことや、清涼殿に落雷したことが道真の祟りとされ、これを鎮めるために神として祀られるようになったという経緯があります。
その後、幼少期から学問に優れていたこともあり、神格化した後に「学問の神様」と呼ばれるようになりました。
菅原道真が祀られている神社は?
【総本山】
- 北野天満宮|京都府京都市
- 太宰府天満宮|福岡県太宰府市
菅原道真が祀られている神社は、京都府京都市の北野天満宮と、福岡県太宰府市の太宰府天満宮です。
上記の2つは総本山で、全国には他にも菅原道真を祀る神社が複数あります。