かつて日本で行われていた怖い風習や、タブーな儀式を紹介していきます。
今回紹介する怖い風習は、私達の何世代も前、はるか昔に行われていたと思われがちですが、数十年前までひっそりと行われていたものもあります。
早速見ていきましょう。
日本の怖い・タブーな風習10選
丑の刻参り
丑の刻参りは、その名の通り、丑の刻(午前1時から午前3時ごろ)に行う呪いの儀式です。
憎い相手に見立てた藁人形を用意し、7日間、神社の御神木に釘で打ちつけることで呪いが完成します。
頭にろうそくを立て、白い着物を着た女性が木に藁人形を釘で打ちつける姿は、漫画や映画で見たことがあるかもしれません。
連夜この儀式を行い、7日目に願いが叶って呪う相手が死ぬといいます。
しかし、この行為を誰かに見られると叶わないという決まりもあります。
村八分
村八分は、日本全国の封鎖的な村で行われていた風習です。
村の掟や慣習を破った者に対し、罰することを目的としています。
村八分を行うと決めた住民たちは結束し、対象者と一切交際するのをやめて、関わらなくなりました。
しかし、口をきかず無視するだけでは収まらず、家の外で音を鳴らして悩ませたり、外出できないよう門を結んだり、積極的な迫害が行われたそうです。
村八分という言葉は、現在も「仲間はずれにすること」という意味で使われています。
夜這い
夜這いとは、夜中に男性が女性のもとを訪れ、性行為を行うことを指します。
現在の倫理観ではにわかに信じられない奇習です。
驚くことに、かつては夜這いが日本各地で広く行われており、古くは万葉集にも「よばひ(夜這い)」の記述が残されています。
ただし、万葉集では「求婚する」「呼び続ける」という意味で使われました。
男性が女性のもとへ通って求婚するという行為が、次第に性に関する風習に転じたわけです。
長らく日本各地で普通に行われていた風習ですが、明治時代以降は廃れました。
火起請(ひぎしょう)
火起請(ひぎしょう)は、戦国時代から江戸時代にかけて行われた、神の判断を仰ぐことを目的とする風習です。
火起請の別名である火誓(かせい)、鉄火(てっか)などの呼び名を見ると、火を使った恐ろしい儀式なのではと想像できます。
この儀式では、対象者の手に赤く焼けた鉄片(あるいは鉄棒)を持たせ、歩いて神棚の上まで運ばせました。
言い争いや訴訟などで決着が付かない場合に、火起請が行われたといいます。
争いの審判を神に委ねるという意味が込められていたようで、熱い鉄片を持ち続け、完遂した者が勝者となりました。
江戸幕府の成立後は禁止となりましたが、勝者も敗者も重い火傷を負う、恐ろしい奇習です。
人形婚
人形婚は、死後婚ともいわれ、亡くなった若者や子どもに死後の結婚をさせる風習です。
青森で見られた風習で、たくさんの花嫁人形を供養しているお寺もあるそうです。
ある母親が亡くなった子の伴侶代わりとして人形を手作りし、それを寺に奉納して、供養を依頼したことが始まりだそう。
この話を知った多くの人が、戦死した息子の供養を願う花嫁人形を用意したといいます。
人形婚は、亡くなった我が子に「あの世で結婚して幸せになってほしい」という親の思いが込められた悲しい風習です。
石合戦
石合戦は、戦国時代の合戦さながら二手に分かれて敵に石をぶつけ合います。
中国や韓国にも、これに似た風習があるそうです。
881年の歴史書「日本三代実録」にすでに石合戦の記載があったそうですから、その歴史の長さに驚きます。
元々は子どもたちが行った遊びでしたが、大人が加わって頑丈な石の投げ合いになり、負傷者や死亡者が出る事も少なくありませんでした。
石合戦から大規模な喧嘩に発展することも多く、鎌倉幕府が禁止令を出したほど。
石の投げ合いというシンプルながらも大変危険な風習でした。
即身仏
即身仏は、歴史や仏教に詳しい人であれば知っているかもしれません。
主に、日本の仏教(密教)で厳しい修行を完遂した僧侶のミイラのことを指します。
僧侶は飢饉や疫病から民衆を救うためにこれを行いました。
即身仏は、死後、ミイラになる必要があるため、木食(木の皮や木の実を食す)という修行を実施します。
生きている間は経典を読み、瞑想し、この修行を死ぬまで続けます。
並々ならぬ強い意志が必要とされる風習でした。
明治時代以降は、法律で禁止されています。
骨噛み
戦前、骨噛みと呼ばれた風習がありました。
葬儀の後、近親者が集まって遺骨を分け合って、食べたり飲みこむという奇習です。
これは、亡くなった人に対する愛情や哀悼からきたもので、追悼の意を表しています。
びっくりするような行為なので昔のことかと思いがちですが、昭和や平成時代にも有名人が亡き親の骨を噛んだことをメディアに告白していました。
日本では根強く、「故人の骨を噛むことが弔いになる」という考えがあるようです。
しかし、遺骨には六価クロムという有害物質が含まれており、葬儀会社などが遺骨を食べることは危険であると注意しています。
人柱
人柱は人身御供(ひとみごくう)の一種で、詳細はわからなくともどのようなものであるかを知っている人も多いのではないでしょうか。
橋や堤防、城などの大規模建造物が無事完成するよう、もしくは、災害や敵によって破壊されないように神に祈るために行われました。
人柱という名は、生贄(いけにえ)となる人の魂が、その建造物の柱として捧げられたということも意味しています。
生贄は土中に埋められたり、水中に沈められたりしたというのですから、現代では考えられないような恐ろしい風習です。
この慣わしは日本全国で行われました。
尊い命が捧げられたため、人柱の霊を祀った神社や、人柱観音を建立した神社が各地に存在します。
瞽女(ごぜ)
目が見えないという障害がありながらも楽器を弾くなどの芸を身につけ、自立して生きた女性がいました。
瞽女(ごぜ)といわれる盲目の女性のことです。
目が見える手引人に連れられて、三味線を抱えて日本各地を巡りました。
瞽女たちは民謡や流行り歌など人気の曲を巧みに弾いて、人々に披露しました。
厳しい修行を経たその技術は聴く者を感動させ、涙を流す人がいたほど。
現代よりも障害への偏見が強かった時代に、たくましく生きた盲目の女性たち。
そんな瞽女は室町時代から大正時代まで日本各地に存在したそうです。
日本の怖い・タブーな風習5選|地方
おじろく・おばさ|長野県
長野県神原村(現在の天龍村)で、おじろく・おばさと呼ばれる特殊な家族制度がありました。
この村では長男のみが大事にされ、その弟妹は「おじろく(男)」「おばさ(女)」として村の社会から隔離されます。
わずかな食事しか与えられずに死ぬまで働かされ、家長である長男一家の奴隷のように生きました。
意外なことに、おじろく・おばさ制度は中流以上の家庭に多かったとのこと。
彼らは奴隷化が長年続いたことで精神疾患に罹ったと伝えられ、その悲惨さを物語っています。
明治に190人、昭和40年代でもまだ3人いたという記録が残っています。
ムサカリ絵馬|山形県
ムサカリ絵馬は、民間信仰に基づいた風習です。
山形県東部の村山地方や置賜地方で、江戸時代から現在まで続いています。
ムカサリは「嫁に迎えて去る」という意味の方言。
まだ若く未婚で亡くなった人の親が、その子のために結婚式の様子や夫婦の肖像を絵馬にして、奉納します。
仏教の「結婚は前世からの因縁であり、先祖の慈悲によるもの」という考えが基になっているそうです。
亡くなった子の人生を全うさせ、輪廻転生(りんねてんしょう)できるようにと願いが込められました。
だんご転がし|淡路島
兵庫県淡路島特有の風習、だんご転がし。
この習わしは五七日忌(ごなのか)に行われます。
五七日忌とは、故人が亡くなってから35日目に行われる法要のこと。
儀式に参加する人たちはまず高い山の上を登って、お寺に向かいます。
そこから、だんごやおにぎりを崖下の方へ、後ろ向きに放り投げて転がします。
亡くなった人が極楽浄土に旅立つ際に、道中で餓鬼に出会ってしまっても、だんごやおにぎりが注意をひいてくれるそう。
ユニークな弔い方ですが、残された者たちの優しい気持ちが伝わります。
クブラバリ|沖縄県
沖縄県与那国島で行われたという奇習のクブラバリ。
15世紀初頭、島の人口が三万人余りに膨れ上がりました。
男女比は1対6で、女性が圧倒的に多かったといいます。
島民は人口が増えて喜びましたが、次第に食糧難に悩まされます。
ある酋長が「女性がどんどん子どもを産むから人が増え続けるのだ」と言い出し、妊婦を対象とした「人減らし」が行われることに。
それがクブラバリ(久部良割)です。
妊婦たちに久部良地区にある3〜5mもの岩の裂け目を飛び越させるという、とんでもない方法でした。
裂け目を跳び越えた強い女性のみ、子供を産むことを許されました。