遊女の末路とは?死因となった梅毒の実態や亡くなった遊女の扱われ方を解説

遊女の末路

江戸時代の遊女は美しく着飾った華やかなイメージですが、どのような末路を迎えたのでしょうか。

社会的に弱い立場だった遊女の多くは「悲惨な末路」を迎えたといわれています。

この記事では、死因や亡くなった後の扱われ方など遊女の末路について解説しています。

【遊女の末路】平均寿命は?どうして遊女になるの?

ドラマや浮世絵に登場する艶やかな遊女たちは、何歳くらいまで生きるのが一般的で、その暮らしはどんなものだったのでしょうか。

まずは、遊女の平均寿命や遊女として生きた事情を紹介します。

平均寿命は約23歳

遊女の遺体収容所となった投げ込み寺「浄閑寺」の記録によれば、遊女の平均寿命は約23歳でした。

しかし、浄閑寺に埋葬された遊女は1年で平均20名以下しか記録されておらず、2000人近く居たとされる遊女のごく一部です。

吉原全体の遊女の平均寿命は、もっと短かったのかもしれません

17歳くらいから客を取り始め基本的に最長10年で年季明け(契約終了)となりますが、それまで生きられなかった遊女も多かったそうです。

借金の利子で縛られている人が多かった

遊女の多くは貧しい家庭出身で「借金のカタ」として、子どもの頃に売られた女性です。

遊女になる修行をしてから客を取るようになり、借金を返すためにほぼ毎日働かされました。

しかし、いくら働いても借金の利子や着物・髪飾りの費用、花魁の場合は付き人の着物代なども負担させられるため、借金完済はほぼ不可能でした。

そんな遊女が自由になるには、莫大な費用を払えるスポンサーに身請けされるか亡くなるしかなかったのです

【遊女の末路】どんな病気にかかった?死因は?

脱走防止のため吉原から出られなかった遊女は、毎日食べて寝るだけの生活でした。

また、一晩で多くの客を取ることもあったので、体を壊した多くの遊女が「若死」にという末路を迎えたのです

続いては、遊女がかかった病気・死因を紹介します。

梅毒などの性病

避妊具を付けず、不特定多数の相手と性行為をした遊女の多くは「梅毒」などの性病に感染しました。

当時は性病になっても有効な治療法がなく、漢方薬などで痛みを和らげるだけでした。

梅毒になると痩せこけて肌が青白くなるため、一時的に遊女の格が上がったと言われるのですが、末期になると容姿も衰えていき、やがて命を落とします。

避妊具がないので妊娠もしやすく中絶を試みた際に体を壊して命を落とす遊女もいました

肺結核

不治の病といわれた「肺結核」により命を落とした遊女も、珍しくありません。

不健康な生活で体力がない上、毎晩のように多くの客を相手にする遊女は、病気にかかりやすい状況でした。

花魁などの人気遊女でなければ病気でも療養させてもらえず亡くなるまで寝かされているだけという悲しい末路だったといわれています。

【遊女の末路】亡くなった遊女はどうなる?

借金を返すために体を壊すほど働いた遊女のほとんどは、亡くなっても普通の女性として丁重に弔われることもありませんでした

最後に、亡くなった遊女の悲しい末路を紹介します。

投げ込み寺に放置される

亡くなった遊女は「投げ込み寺」と呼ばれる寺に放置されました。

安政の大地震が起きた際、吉原で数百人の遊女が亡くなり、大量の遊女が寺に投げ込まれるように葬られたことから、その名で呼ばれるようになったといわれています。

読経などの供養はなく寺の敷地内に穴を掘って埋められるだけの簡単な弔いだったそうです

ほとんどの遊女が無縁仏になる

亡くなった遊女のほとんどが身内に引き取られることもなく、無縁仏になりました。

また、心中や足抜け(逃亡)未遂など、吉原の掟を破って亡くなった遊女は、衣服を剥ぎ取られた裸の状態で荒菰(あらごも)に包まれて、寺に投げ込まれたそうです。

これは、死んだ後に祟ることがないよう「畜生道に落とすため」だといわれています。

放火などの罪を犯して死罪になった遊女や自殺した遊女も同様で、戒名に「売女(ばいじょ)」と書かれました

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