ブランシュ・モニエとは?25年におよぶ母親による監禁事件を解説

ブランシュモニエ

ブランシュ・モニエは、かつてフランスの社交界における女王として君臨した女性。

美貌に恵まれた女性でしたがある日を境に彼女を取り巻く状況は一変します

この記事では、ブランシュ・モニエについて詳しく解説します。

ブランシュ・モニエとは?

まず、ブランシュ・モニエとはどんな人物だったのかを見ていきましょう。

美しい社交界の華

ブランシュ・モニエは、1849年3月1日に生を受け「容姿に恵まれた美しい女性」として成長しました。

フランスのパリにおける社交界の華として広く知られ、その美しさから彼女に求婚する者が後を絶ちませんでした

母親に25年間監禁されていた

幸せな人生を送れるはずだったブランシュですが、ある日「貧しい弁護士との結婚」を巡って母親と激しく対立します。

憤った母親は彼女を屋根裏部屋に閉じ込めそれからなんと25年もの間監禁し続けたのです

ブランシュ・モニエ監禁事件の経緯

実の母親に監禁されることになったブランシュ

その監禁事件の経緯を、詳しくご紹介します。

交際相手をめぐり母親と衝突

先述した通り、きっかけはブランシュが貧しい弁護士との結婚を考えていると主張したことでした。

裕福な相手との結婚を熱望していた母親はそれを認めず激しく衝突することになったのです。

母親がブランシュの監禁を決意

母親は、なぜブランシュを監禁するに至ったのか。

それはブランシュの「反抗を封じるため」でした。

監禁してしまえばそれ以上反抗できないと考えたのです。

事の顛末|どうやって発覚したのか

事件が発覚したのは1901年。

きっかけは、匿名の手紙が司法長官宛に届いたことでした。

そこにはブランシュの母親であるモニエ夫人が、未婚女性を監禁しているという事実が記載されていたのです。

ブランシュ・モニエの最期

救出されたとき、ブランシュは非常に衰弱しており、そのまま病院に運ばれます。

身体的にも精神的にも疾患を発症しており、その病状は酷いものでした。

その後療養を続けるも虚しく、彼女は1913年10月13日に死去したのです。

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