戦国時代の名だたる武将たちの武勇伝が大好きという人も多いでしょう。
しかし、武将たちの死因となると、あまり知られていないかもしれませんね。
「武将なんだから討ち死にしたんじゃないの?」
そう思っているかもしれませんが、誰もが華々しく散っていったわけではありません。
なかには信じられないような死因で、亡くなってしまった武将もいるのです。
トイレで踏ん張ってる最中に|上杉謙信
戦国武将の一人、上杉謙信。
とても有名な歴史上の人物ですが、みなさんはその死因を知っているでしょうか。
実は謙信の死因には諸説あります。
その中でも通説とされているのが、「厠(トイレ)で脳卒中を起こした」というもの。
なんだか現代にも通じる死因で、少し驚いてしまいますよね。
こちらの説では、「トイレで脳卒中を起こしたせいで遺言をする暇もなかった」ともいわれています。
その他の説では、「書斎で急性の腹痛を起こして、五日間煩った後に亡くなった」というものも。
こちらの説では、後継体制や形見分けまで行ってから亡くなったとされています。
どちらの説も史料にそれらしき記載があるため、一概にどちらが正しいといえるものではありません。
この機会に、どちらの説がより信憑性が高いかについて考えてみるのも楽しいかもしれませんね。
天ぷらを食べすぎて|徳川家康
「鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥」で有名な徳川家康。
彼のファンという人も多いかもしれませんね。
優れた戦国武将だった彼の死因が、「天ぷらの食べすぎ」だと聞いたら、誰もが驚くでしょう。
「人生50年時代」に75歳まで生きた家康は、健康オタクだったそう。
そんな彼が、食べる手をどうしても止められなかったのが「鯛の天ぷら」。
食べすぎたせいで腹痛を起こしたとも、食中毒だったともいわれています。
ただし家康の死因も諸説あって、胃がんだったという説もあるぐらいですから、本当のところは謎に包まれています。
太り過ぎで持ち上げてもらえず戦場に置き去りに|龍造寺隆信
「肥前の熊」と称された龍造寺隆信。
「肥前の熊」というあだ名からもわかるように、とても巨大な体格をしていたのだそう。
この武将の死因はいささか特殊です。
なんと「沖田畷の戦い」という戦の最中、隆信は輿に乗って移動していたらしいのですが……。
なんと重量に耐え切れなくなった家臣が、輿ごと隆信を置き去りにしたために、敵に討ち取られてしまったのだとか。
もう少し軽ければ、もしかすると命が助かったのかもしれませんね。
自分が仕掛けたいたずらにかかって|四条天皇
四条天皇は鎌倉時代の天皇です。
二歳で即位したというのですから、物心がついたときには天皇だったということになりますよね。
そんな四条天皇もすくすくと成長して十二歳になったのですが、その頃、不幸が訪れます。
日頃からいたずら好きだった四条天皇は、その日も廊下にツルツルの石を置いて、誰かを転ばせようとしていたのだとか。
ところが、誰も引っかかってくれず、ついにあきらめてしまった四条天皇。
そのうち、いたずらを仕掛けたことを忘れ去ってしまい、自分がツルツルの石で滑ってしまったらしいのです。
しかも打ちどころが悪くて、そのまま天に召されたというのですから、なんだか呆気ない最期ですよね。
お尻のできものを掻きむしりすぎて|足利義持
室町時代の四代将軍の足利義持。
彼の死因はなんと、お尻のできものを掻きむしりすぎたことによるのだそう。
痒くてたまらず掻きむしることは誰にでもありますが、義持は尋常じゃないほど掻きむしったのでしょう。
ついにお尻の肉が壊死してしまったらしく、最終的には敗血症になってこの世を去ったといわれています。
まさか自分でも死ぬことになるなんて思いもよらなかったかもしれませんね。
スイーツ男子すぎて虫歯が30本に|徳川家茂
徳川家茂は、江戸時代きってのスイーツ男子だったといわれています。
甘いものが好きすぎて、なんと30本も虫歯があったのだそう。
しかも虫歯のせいで、栄養不足になり、脚気を患ってしまったために、彼は二十一歳で亡くなったのです。
現在でも口中の健康は、体全体の健康と深く関係しているといわれていますよね。
しっかりと歯磨きして、歯も体も健康でいたいものです。
痔から大量出血|榊原康勝
榊原康勝は、徳川家の家臣で、大坂冬の陣などで大活躍していました。
しかし、馬に乗るたびに彼はとんでもない激痛を感じていたのだとか。
というのも、康勝はものすごい痔を患っていたのです。
痔がある状態で馬に乗るなんて、まるで拷問ですよね。
考えるだけでもゾッとします。
それでも無理を続けたのでしょう、康勝は大阪夏の陣にも参戦しました。
ですが、彼のお尻はもう限界を迎えていたのです。
鞍に血溜まりができるほど大量出血をしてしまい、結果的にそれが原因で帰らぬ人になったのだそう。
やはり無理は禁物ですね。