一番美しい花魁は誰?高尾や小紫など美しさで有名な太夫のエピソードを紹介

一番美しい花魁

江戸時代、吉原遊郭では数多くの花魁が存在しましたが、その中でもとくに美しさで名を馳せた花魁たちがいました。

彼女たちは単なる遊女ではなく、教養や芸事にも優れた「太夫」として多くの人々を魅了していたのです。

この記事では「一番美しい花魁」と称された高尾太夫をはじめ、美しさで有名な花魁たちの逸話を紹介します。

彼女たちがどのようにして名を残したのか、そして彼女たちを指名するために必要だった金額についても見ていきましょう。

一番美しい花魁は「高尾太夫(たかおだゆう)」

江戸時代、吉原には代々「高尾太夫」の名を継ぐ花魁が存在しましたが、中でもとくに有名なのが初代の高尾太夫です。

彼女は美貌だけでなく、和歌・書道・茶道にも精通し、多くの武士や大名が彼女のもとを訪れました。

とりわけ仙台藩主・伊達綱宗(だてつなむね)との逸話は彼女の美しさを象徴しています。

綱宗は高尾太夫を身請けしようとしましたが、高尾太夫は「一夜の契りを結ぶために生まれてきたのではない」と拒絶しました。

これは「私はただ男に抱かれるために生きているのではなく自分の誇りや生き方を大切にしている」という気高い意思表示です。

この気高い態度が、彼女の美しさをさらに際立たせました。

しかしその後、強引に連れ去られたともいわれ、波乱に満ちた生涯を送った花魁とされています。

美しいとされた花魁を他にも紹介

高尾太夫以外にも、美しさと気品で名を馳せた花魁が存在しました。

ここでは、とくに有名な花魁たちを紹介します。

薄雲太夫(うすぐもだゆう)

薄雲太夫は、吉原の名門遊女屋に属していた花魁で、透き通るような白い肌と細やかな気配りで評判でした。

彼女の名が広まったのは、ある大名との恋物語によるものです。

大名は彼女を身請けしようとしましたが、薄雲太夫は「遊女としての誇り」を大切にし、簡単には応じませんでした。

しかし、最後には互いに強く惹かれ合い悲恋の末に身を引いたとされています。

勝山太夫(かつやまだゆう)

勝山太夫は、その美しさとともに器量の良さでも知られていました。

とくに琴の演奏は絶品で、多くの文人や武士たちが彼女のもとに通ったのです。

彼女に惚れ込んだ一人の豪商が、身請けのために莫大な財産を費やしたという逸話も残っています。

しかし、彼女は自由を得ることを望まず最後まで花魁としての道を貫きました

小紫太夫(こむらさきだゆう)

小紫太夫は、江戸中期に活躍した花魁で、とくに美しい黒髪と涼しげな目元が特徴的でした。

彼女の人気ぶりは凄まじく、一目会うために全国から武士や町人が集まったといいます。

中でも、ある大名が彼女に惚れ込み莫大な財を投じて身請けしようとしましたが、小紫太夫は「自分の意志を貫く」ことを選び、遊女の身を貫きました。

美しい花魁を指名するには何円かかった?

江戸時代、花魁の指名には莫大な費用がかかりました。

とくに「太夫」と呼ばれる高級遊女のもとに通うには、現在の価値に換算して数百万円単位の費用が必要だったといわれています。

一度会うだけでも現在の価値で約50万円から100万円ほどが必要であり正式に馴染みとなるにはさらに多くの贈り物や金銭を費やす必要がありました。

さらに、身請けをする場合は、現在の貨幣価値で数千万円以上の支払いが必要だったといわれています。

それほどまでに高額であったため、花魁を指名できるのはごく限られた大名や豪商のみでした。

そのため、花魁と関係を持つことは財力の象徴でもあったのです。

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