長い歴史の中には、知略や残酷な手段で権力・快楽を手に入れようとしてきた女性たちがいます。
いわゆる悪女と呼ばれ、時には自身の意図せぬ運命に翻弄されることも。
今回は、そんな彼女たちの悪女っぷりについてみていきましょう。
世界の最恐悪女丨中国三大悪女
西太后
中国三大悪女のひとり、西太后は満州の貴族として生まれた女性です。
もともと地位は高くありませんでしたが、使用人となる女官を選ぶ試験「選秀女」を受けて合格した西太后は、18歳で咸豊帝の後宮入り。
さらに、息子・載淳を産み昇進してからは、政治に深く関わるようになりました。
彼女が悪女である由縁は、咸豊帝が崩御したことにあります。
アロー戦争にて帝が戦死したあと、西太后はとんでもない早さで息子の後見である幹部たちを処刑。
息子である載淳を同治帝として即位させ、自身は皇太后として権力をふるい続けたのです。
呂雉
呂雉は、漢の高祖である劉邦の妻で、一男一女の母です。
実は、中国の歴史上最も残虐な女性といわれています。
紀元前195年、劉邦が戦死したあと呂雉は、息子・劉盈を恵帝として即位させ、親族を高官に任命するなど、皇太后として実権を握りました。
そして、彼女は恵帝のライバルであった劉如意を毒殺し、その母・戚夫人に関しては、囚人服を着せ牢獄に監禁したうえ、丸坊主で強制労働させます。
さらに、両手両足を切断し、視覚・聴覚・声まで奪い、厠(便所)に投げ落とし、のたうち回る姿を笑い転げながら見ていたそうです。
挙句の果てには、恵帝に厠をのぞかせ、無残な戚夫人の姿を楽しそうにお披露目。
ほかにも、劉邦がほかの女性と作った子どもを殺害したり、外戚政治をおこなったりするなど、やりたい放題です。
しかし、呂雉亡きあと、呂一族は全員処刑され独裁政治は終わりを告げました。
則天武后
則天武后は、中国2000年の歴史の中で唯一の女帝といわれる女性です。
彼女のすごいところは、自分の地位を脅かす人たちの粛清にとどまらなかったところ。
なんと、ライバルである皇族に加え、親族までも手にかけていたそうです。
男女問わず、孫や姪など自身が好きか嫌いかどうかで殺害するか決めていました。
もともと、皇帝・高宗が寵愛していた蕭淑妃と王皇后の2人を、棍棒で百回叩き惨殺するという残虐性を見せていた則天武后。
その後も、密告や自身に歯向かう者たちの排除を続けた彼女は、晩年、病床に伏せがちになりやがて崩御しました。
世界の最恐悪女丨日本三大悪女
日野富子
日本三大悪女のひとり、日野富子は室町幕府の第8代将軍・足利義政の妻であり、第9代将軍・足利義尚の母です。
彼女が悪女といわれるようになったのは、1459年、義政との間にできた男児が、産まれて間もなく亡くなったことが理由です。
なんと、息子が死んだのは乳母の呪詛によるものだとし、琵琶湖の沖島に流刑。
義政の側室4人も呪詛に賛同したとして追放しました。
その後もなかなか男児は生まれず、義政は異母弟である義尋を足利義視と改め、将軍後継者とします。
しかし、その後すぐに富子は義尚を出産し、彼を将軍に擁立しようと考えました。
ですが、日野家と義視が対立し、やがて応仁の乱に発展したうえ、彼女自身は戦にもかかわらず東西両軍にとんでもない額の金銭を貸し付け、膨大な資産を手にします。
義尚が元服し将軍になると、義政が政治に関心がなくなったことをいいことに、富子は実質的な室町幕府の指導者となりました。
北条政子
北条政子は、鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝の正妻で、言わずと知れた悪女のひとりです。
彼女が悪女として魅力的なのは、とにかく嫉妬深かったところ。
当時は一夫多妻が当たり前のため、嫉妬することは異例でしたが、彼女の場合は容赦というものを知りません。
頼朝が亀の前という愛人を寵愛していると知った際には、彼女が伏見広綱と住んでいた邸宅を打ち壊しました。
さらに、怒りを鎮めるため伏見広綱を遠江国へ流すという所業です。
何人も手にかけた悪女たちと比べると、政子の嫉妬はかわいく見えますが、尼将軍となり実権を握った彼女は間違いなく悪女なのかもしれません。
淀殿
淀殿は、本名を浅井茶々といい、三英傑のひとりである豊臣秀吉の側室・妻です。
父・浅井長政と母・お市の方の間に産まれた三姉妹の長女で、母に似て美人だったとされています。
そんな彼女が悪女といわれるようになったのは、側室の中で唯一秀吉の子を懐妊したからです。
秀吉は、なかなか子どもに恵まれなかったため、豊臣秀次を養子にしていました。
しかし、子どもができた途端、なんと秀次に謀反の疑いをかけ切腹させたのです。
さらに、三条河原において首を晒し、その場で側室や侍女に至るまで数十名を処刑しました。
やがて、秀吉が亡くなり三男・秀頼がわずか5歳で跡を継ぎます。
しかし、1615年に大阪城が落城し、遺体は見つかっていないといわれていますが、淀殿は秀頼と一緒に自害したとされています。
これだけ見ると、秀吉のほうが悪人に思えますね。
ですが、豊臣家が滅んだ原因が、淀殿の両親や兄妹の命を奪った秀吉への復讐だったとしたら、とんでもない悪女だといえるでしょう。
もっとヤバすぎる!?世界の悪女たち
ンジンガ女王
ンジンガ・ムバンデは、現在の北アンゴラにあたるキンブンド王国の女王です。
彼女は幼い頃から英才教育を受け、父から権力を引き継いだあとは、王国の独立と地位確保のため尽力しました。
しかし、これはあくまで表の顔で、なんと彼女は人肉や生き血を好む人食嗜好の持ち主だったのです。
2日で120人以上もの子どもを食べたり、600人の村人を殺し石臼でひき大量の血を飲んだりと、逸話が残っています。
メアリー1世
メアリー1世は、ヘンリー8世と最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンの間に生まれた娘(女王)です。
別名ブラッディメアリーと呼ばれていますが、その理由は宗教政策のためにたくさんの血を流させたから。
プロテスタントを迫害し、カトリック信者の世界を復活させるため女性や子どもら300人以上を処刑したといわれています。
エリザベート・バートリ伯爵夫人
エリザベート・バートリ伯爵夫人は、血の伯爵夫人という異名を持つ、連続殺人鬼として名高い女性です。
吸血鬼伝説のモデルといわれる人物で、彼女に関する逸話はとてもおぞましいものばかり。
たとえば、若い女性を殺し血を浴びたり、拷問・多淫・人食・黒魔術など、残虐行為のオンパレードでした。
被害者の数は600人を超え、全員が若い女性だったそうです。
ダリヤ・サルトゥイコヴァ伯爵夫人
ダリヤ・サルトゥイコヴァは、ロシア帝国の貴族女性であり、100人以上もの若い女性を手にかけた連続殺人犯です。
拷問と虐殺を楽しむサディストで、相続した領地内で共に暮らしていた、たくさんの農奴たちを痛めつけることで快楽を得ていました。
なんと、当時の女帝に嘆願書が届くまで、非道な所業が明るみに出ることはなかったそうです。
イルマ・グレーゼ
イルマ・グレーゼは、アウシュビッツ強制収容所の看守であり、連絡主任にまで昇進した女性です。
天使の如く美しい容姿とは裏腹に、彼女もダリヤと同じく加虐嗜好の持ち主。
ユダヤ人に対して鞭をうったり、犬に噛ませたりするなどして性的快感を得ていたそうです。
しかし、イギリス軍に逮捕され、死刑が執行された彼女の人生は22年で幕を閉じました。
江青
江青は、中国の思想家・政治家である毛沢東の妻です。
悪女といわれる理由は、女性への恨み・嫉妬心が人一倍だったこと。
彼女は毛沢東の4番目の妻ですが、前妻と無理矢理別れさせるほどのやり手です。
ファーストレディになった後も、女性政治家をライバル視するなど、女は全員敵といわんばかりに嫉妬心を燃やしていたそうです。