日本の悪女9選!歴史を変えた三大悪女から現代版最恐女性まで

日本の悪女

「悪女」という言葉を聞いて、何を思い浮かべますか?

人間の中に潜む野心や嫉妬などを映し出したその姿に妖艶な魅力を感じる人も多いのではないでしょうか。

この記事では、日本の悪女9人をお届けします。

歴史を変えた三大悪女や現代版最恐女性など、狡猾な人たちを紹介します。

日本の三大悪女といえばこの三人

歴史に残る人物には、悪女と称される女性が存在します。

日本史を彩る三大悪女と呼ばれた人たちはみな、知識や美しさを利用して多くの人たちを魅了してきました。

ここでは、日本の三大悪女と呼ばれる女性を紹介します。

北条政子

1157年に誕生した北条政子は、鎌倉幕府の初代将軍である源頼朝の妻として知られています。

政子は嫉妬深く、浮気や女性関係にはシビアな考えの持ち主でした。

当時は、一妻多夫が当たり前でしたが頼朝が他の女性と関係を持ったらもう大変

政子の嫉妬心がメラメラに燃え上がり、いてもたってもいられません。

実際に、政子は頼朝の愛人「亀の前」の存在を知り、ある行動に移したと記されています。

その行動とは「亀の前が住む屋敷を襲撃するように命じ全壊させた」という恐ろしいもの。

この件で政子は頼朝から怒られたとされますが、その後どうなったかは明らかにされていません。

日野富子

1440年に生まれた日野富子は、室町幕府の第八代将軍「足利義政」の妻。

容姿端麗でしたが、性格がきつい女性として有名です。

富子は、戦は金になるという考えを持ち、武器を高値で売りつけてお金を稼いでいました。

敵軍にも武器を売るなどし、その額が現代の60億に相当するのですから、強欲もいいとこです。

強欲は、お金だけではありませんでした。

夫がいるのにもかかわらず、当時の天皇「土御門天皇(つちみかどてんのう)」と浮気に走ったのです

義政は、相手が天皇なだけに太刀打ちできないことをいいことに、密会を重ねていたことで知られています。

淀殿

淀殿は1567年、織田信長の妹として誕生しました。

豊臣秀吉の子を身ごもったことから、悪女と呼ばれるようになったとされます。

秀吉には10人以上の側室がいたのにもかかわらず、子どもを身ごもった女性は1人もおらず、兆候さえなかったようです。

このことから、淀殿が身ごもった子どもは秀吉の子ではないのでは…?という噂が後を絶たなかったそう。

石田三世との浮気が疑われていたのです。

しかし、秀吉は子どもができたことを大変喜び、それまで養子として育てていた豊臣秀次を謀反の疑いを理由に処罰しました。

羽柴秀康や羽柴秀俊らも別の養子に出し、排斥したのです。

これらはすべて淀殿の指示だと捉える人も多く、三大悪女といわれる1人に名が挙がるようになったとされます。

明治の毒婦と呼ばれた悪女「高橋お伝」

高橋お伝は、明治の毒婦といわれた日本の殺人犯で、悪女です。

透き通った色白で、美しい容姿の持ち主でした。

しかし、高橋お伝は強盗殺人を犯し死刑囚になるのです。

1879年、死刑が言い渡され、市ヶ谷監獄で即日死刑執行。

斬首刑でした。

裁判所内では悪びれる様子がなかったことが記されており「長々ご厄介になりました」と一礼したそう。

あまりの堂々たる姿に、多くの人が驚きを隠せなかった模様が記されています。

現代版!日本の最恐悪女5選

時代が変わっても、多くの人から注目される日本の悪女。

一般的には理解できない大胆な言動が話題を呼び、名前を聞けば「この人知ってる!」と記憶に残っている人も多いのではないでしょうか

ここでは、現代における日本の5人の最恐悪女を紹介します。

これから紹介する人たちはどのような人生を送り、悪女と呼ばれるようになったのか、紐解いていきましょう。

阿部定

安部定は1905年、裕福な家庭に生まれました。

近所でも評判の美少女で、両親からは甘やかされて育ったといいます。

そんな定は、1936年に事件を起こします。

うなぎ屋「吉田屋」で家政婦として働いていた定は、妻子持ちの店主「石田吉蔵」と不倫関係になりました。

その後、定は包丁で吉蔵の性器を切り落とし、逮捕されるまで持ち歩いていたのだとか。

性器を切り落とした時に流れ出た血で「定吉二人キリ」と書き吉蔵の腕には包丁で「定」の字を残したそうです。

歪んだ愛情が殺人に変わった恐ろしいこの事件は「安部定事件」といわれ、後に同事件を題材にした映画「愛のコリーダ」が公開されています。

林真須美

林真須美は、1998年に日本中を騒がせた「和歌山毒物カレー事件」の被告人です。

和歌山県で実施された夏祭りで、提供したカレーに毒物を入れ、67人が急性ヒ素中毒となり、そのうち4人が帰らぬ人となりました。

無差別殺傷事件として多くのメディアが取り上げ、大きな話題を呼んだこの事件。

当初「集団食中毒」「青酸化合物混入」「ヒ素混入」と、報道が二転三転していました。

2009年、林真須美容疑者は死刑判決が下されましたが、その理由として、保険金殺人未遂事件3件保険金詐欺事件4件にも携わっていたことが挙げられています。

日本の悪女としての名を知らしめた林真須美は、現在も大阪拘置所に収容されています。

木嶋佳苗

2017年4月14日、この日は木嶋佳苗の死刑が確定した日。

平成の毒婦として世間を騒がせた佳苗の身勝手な犯行は、あまりにも酷いものでした。

婚活サイトに登録していた佳苗は、金銭的に余裕がありそうな男性を探しては距離を深めていきました。

当時の佳苗は33歳でしたが「大学院生」「音楽教室の講師をしている」と、偽りの情報を流していたそうです。

やがて交際に発展し、結婚を匂わせてはあらゆる手段で生活をサポートしてもらっていた佳苗。

しかし、男性側が佳苗に結婚の意思がないことに気づくとその度に殺害し別のターゲットに変えるのです。

佳苗は、自殺に見せかけて3人を殺害。

無実を主張し続けましたが、死刑が下されたのも無理はありません。

詐欺・詐欺未遂・窃盗・殺人…合計10件の容疑で起訴されたのですから。

上田美由紀

上田美由紀は、孤独な男性を探しては男女の関係になり、次々とお金を要求した後に殺害をした日本の悪女です。

2度の離婚歴のある美由紀は、5人の子どもを持つシングルマザー。

当時は、鳥取市内のスナックで働いており、離婚歴がある人や孤独な男性を見つけては隣につき、距離を縮めていきました。

数回対応すると、すかさず「一緒に暮らそう」と甘い言葉で男性を誘惑し、男女の関係になったといいます。

信用しきった男性に「お金が必要なの」と伝えては多額を受け取り殺害に及びました

被害に遭った男性は6人、そのうち4人は「自殺」「事故死」「病死」で処理されています。

2017年、美由紀は死刑判決を受けるものの、それから約5年半経った頃、拘置所で食べていた食事を喉につまらせて亡くなりました。

江藤幸子

1995年に発覚した「福島悪魔祓い殺人事件」の容疑者「江藤幸子」は、6人を殺害した日本の悪女です。

幸子は宗教家で、10人以上の信者と共同生活していました。

そこで、悪魔祓いと称し太鼓のバチなどで信者を叩き殺害に及んだとされます

信者のなかには、家族でこの家に暮らしていた人も。

妻の殺害に夫が積極的に関わったり、両親の遺体の側で子どもが生活したりと、通常ではあり得ない事態が起こっていました。

そして、2012年9月27日、死刑執行。

トップセールスレディとして活躍していた1人の女性が拝み屋になった、なんとも痛ましい事件です。

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