北里柴三郎のお墓はどこ?
所在地 | 青山霊園 |
住所 | 東京都港区南青山2丁目32-2 |
北里柴三郎のお墓は、東京都港区南青山にある「青山墓地」にあります。
青山墓地は旧郡上藩主青山氏の屋敷跡で、明治時代に公営墓地として開設されました。
ビル街に近い立地でアクセスしやすく、明治以降の著名人が多く葬られています。
かの有名な「忠犬ハチ公」のお墓も存在しています。
北里柴三郎ってどんな人?
出身地 | 肥後国阿蘇郡小国郷北里村 |
生年月日 | 1853年1月29日 |
命日 | 1931年6月13日 |
享年 | 78歳 |
戒名 | 不明 |
北里柴三郎は明治時代に活躍した日本の微生物学者です。
「近代日本医学の父」として知られており、破傷風の血清療法の開発、ペスト菌の発見など偉大な功績を残しました。
第1回ノーベル生理学・医学賞において、最終候補者まで選ばれています。
「医学の基本は予防にある」という信念を元に、国内外で伝染病の治療・予防に貢献しました。
北里柴三郎の死因・最期
北里柴三郎は1931年6月13日、自宅にて脳溢血のためこの世を去りました。
大きな功績を残した著名人であった彼の訃報は、当時では珍しかったラジオの臨時ニュースにて全国に報じられます。
さらに国内だけではなく、全世界に向けて彼の訃報が伝えられたとのことです。
北里柴三郎の葬儀
北里柴三郎の葬儀は、青山斎場にて執り行われました。
葬儀には医学界や政界の著名人が4000人以上も集い、彼を深く追悼したのです。
その後、北里柴三郎は青山墓地で眠っています。
- 北里柴三郎のお墓は、東京都港区南青山の「青山墓地」にある
- 北里柴三郎は明治時代に活躍した日本の微生物学者
- 1931年6月13日、自宅にて脳溢血のためこの世を去る